韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

追悼のある方式――「烈士」、「恨」、「葬儀闘争」

コ・ビョングォンのエッセイ集『黙黙』に掲載されている「わたしたちが生きる地はどこですか」という講演録より引用。これは「障害解放烈士団」で主催した「2017障害解放烈士の学び場」で「キム・スンソク烈士、その死後の生について」という題名で2017年11月23日に筆者が語ったものを文章化したものだ。ソウル市中心部にある地下鉄光化門駅にある障害者闘争座り込み現場については、訪れたことがある方、通り過ぎたりして目にされた方がいると思う。それとは別の現場である障害者雇用公団ソウル支部も、2017年から18年にかけて全国障害者差別撤廃連帯が占拠座り込みをしていたのだが、その現場で行われた講演である(なお占拠は政府との「最低賃金適用除外制度改変のためのタスクフォース」および「公共部門雇用一万個導入のためのタスクフォース」をつくり、そこでの協議を進めることを決めて「中断」された)。ここでは生きていても死者扱いされるのであれば、死ぬこととは何なのかが問われ、そこから「烈士」「恨」「葬儀闘争」という言葉が再定義されていく。

 

「治癒された者は去ります。ソクラテスはあちらの世界でも師匠に出会い、友に出会い、哲学者の路を歩み続けると語りました。しかし恨を持つ者は去らないのです。自分は死んでも去らずにここにいるのだと、あなたたちが闘う場所に自分の席もつくってくれと語るのが烈士です。烈士は死んでもここに留まる者です。哲学者は言葉を残して去りますが、烈士が言葉とともにここに留まります。

 

猶予された葬儀

 

 死者をそのまま死なせるわけにはいかないというのは、生者たちの要求でもあります。烈士が現世で死後の生を生きていく理由は、その者の意志と同じくらい生者の意志ゆえでもあります。少数者たちの闘争で葬儀闘争が持つ意味がここにあります。この世界から追い出された存在たち、この世界から排除された者たちがこの世界をただ単に立ち去るということ、それゆえこの世界に存在しないかのように存在していた者たちが、いまや存在しないものになるということ。この時、死は「死んだまま生きた生」に対する確証になります。存在することを否認されてきた存在が、最終的にその非存在性を確認する瞬間です。その者の死を認め、正常な生へと戻ることはできるのか。少数者たちにとってこれは簡単ではありません。なぜならその者の死はまた「死んだまま生きている」者たちの生に対する確証でもあるからです。したがって、その者の死を受け入れることができません。

 この場合、葬儀の儀礼はその者の死を否認するやり方でのみ可能です。その者はこのように虚しく消えはしないということを見せるやり方で、儀礼が行われます。その者は生きなかったがゆえに、死ぬことができないのです。その者はもっと生きた後にのみ死ぬことができます。葬儀はこれを再現します。

 キム・ジュヨン同志の葬儀の時を思い出します。鐘路警察署の付近だったと思いますが、誰かが涙をこらえて叫びました。キム・ジュヨン同志、生涯にわたり道を自由に動けないまま死んだけども、警察が再び塞いでいると。ここでの道は単純な意味ではありません。これは単純にあの世への行く道ではありません。当時、路上の葬儀が試みられたのは、死者が生きることができなかった生の試みです。死者はそこを自由に歩めてこそ生者になり、そうすることをもってこそその者は再び死者になることができます。

 ソン・グクヒョン同志の葬儀の時も同じです。かれは国民年金公団障害審査センターで活動支援サービス〔介助サービス〕申請資格すら否認されました。ぎりぎりの生活を繋いでいったかれは、キム・ジュヨン同志と同じく、一人で炎から逃れることができないまま死にました。路上の葬儀を行うなかで、障害者たちは市役所の前にかれの棺を置きました。市役所で自分の権利をもっと主張せねばなりません。ここままでは死ねません。かれはもっと生きた後にのみ死ぬことができます。かれは、障害者は、まだ死ねません。かれにとっては「果たせなかった」ものがあるからです。」コ・ビョングォン『黙黙』トルペゲ、162‐4頁。