韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

【日本語訳】非情な韓国・・・生きれるが、仕事はできない?−そもとぅ

原文は、スユノモウィークリー

http://suyunomo.net/?p=8135


非情な韓国・・・生きれるが、仕事はできない?−そもとぅ



世界難民の日にみる韓国居住ビルマ難民の生


 6月20日は世界難民の日だった。難民は「人種、宗教、国籍、特定の社会集団の構成員身分または政治的意見によって迫害を受けうる合理的根拠がある恐怖によって外国へ脱出した人」を意味する。全世界には4000万人以上の難民等が国際社会の保護を求めさまよっている。


 韓国には、1994年に難民申請を受けはじめて以降、2010年3月現在、あわせて3073人が難民申請をし、その中で235人が難民として認定を受けた。132人は人道的在留資格を許可され、1604人は不許可、みずから撤回した者が580人であり、現在522件が審査中だ(難民人権センター資料)。


 わたしは2004年に難民申請をした。わたしたち(「ビルマの行動」会員たち)は、韓国内のビルマ移住労働者たちを過度な税金によって搾取するミャンマー大使館を相手にたたかったのであるが、テロリストとしてみられ、生命保護のため難民申請をすることになった。わたしたちは仁川出入国事務所にいき難民申請の受付をした。難民申請の受付担当者が未登録在留者を取り締まっていたため長いあいだ待った。暑い天気に全身が汗でぬれ帰ってきた出入国管理事務所の職員は、わたしたちを見るや、この間積もったストレスをわたしたちに向かって解消した。ため口と蔑視を聞いてようやく難民申請の受付が終わった。どうせ受付後に難民申請の理由をくわしく審査するのだし、なぜ難民申請のときから悪い気分にさせるのか理解するのが難しかった。



生きれるが働けない・・・じゃあ何を糧にしろと


 数日後、6時間ちかく審査を受けた。わたしの幼い時のはなし、わたしがなぜ韓国に来るようになったのかのはなし、韓国社会でのわたしの生活がかなり詳細に審査された。わたしは通訳なく韓国語で答えられたため6時間後に審査を全部終わられることができたが、通訳が必要な申請者たちが、一日以内に終われずに、もう一度行って審査を受けなければならない。


 とにかくここで言いたい点は審査だ。そういう原則なのかもしれないが、わたしが難民になった理由とは関係ない、わたしの個人情報の内容まですべて詳細に話してあげなければならないことには、とても不快だった。生命を保護されようとすることがより重要なため、答えたくなくても根掘り葉掘り聞いてくることは、耐えて答えるしかなかったが、気分がよくないことは事実だ。


 ここでもうひとつの問題は、難民申請をする間、仕事ができないということだ。わたしたちの生計のためにいかなる支援もないのに、難民申請者は仕事ができないと、法で明示されている。法だから守りたいけど、守れない。仕事をしないと生きれないから。


 わたしたち会員の一名(難民申請者)は工場で仕事をしているとき、出入国取り締まりチームに出会うこともあった。かれは、取り締まりチームの職員に対し、難民室からかれに与えられたA4用紙サイズの難民申請受付証を見せた。取り締まりチームはかれに、難民申請者は仕事をしたらダメなのになぜ働いているのかと問うた。かれが、乞食になれないから働いていると答えるや、取り締まりチーム職員がかれに「この畜生」と言い、そのまま出て行ったという。


 生命の保護を受けようと難民申請をした人が飢え死なないようにしてくれる支援すらもない上に、申請者が自分の力で食べる糧を探すことも法で金史されていることが、本当に心痛い現実だ。力が無い弱者であるわたしたちの食事を、そんなにケチケチする必要はないだろうに。



政府風刺漫画「コピペ」したと12年刑・・・ビルマの「現実」知っているのか


2004年に難民申請審査を受けて以降、わたしと難民室の縁がしばらくのあいだ切れていたが、4年たった2008年になって、難民室から連絡が来た。わたしたちすべてが難民認定「不許可」を受けた。しかしビルマ国内の状況がよくないから、全員に「人道的地位」を許可すると言った。


 法務部は、わたしたちが難民申請をした後、4年間ミャンマー政府に反対する数多い政治活動家たちを目にとめもせず、わたしたちの政治活動が微弱で帰国するときに生命に威嚇を受けたりする問題はないだろうという理由で難民の地位を認定しなかった。人道的地位を許可するということは、難民のように、政治、宗教、民族などによって帰国するとき迫害を受ける可能性はないが、申請者の国の状態が戦争、台風などで劣悪な状況なため帰れないから、現在居住している国家で申請者を人道的な次元ですばらくのあいだ保護してあげるということを指す。


 しかし実際に法務部ではその状況にある人びとのみならず、「難民として認定することが負担だし、追い出すのも難しい」曖昧な状態の難民申請者たちにも人道的地位を付与している。


 法務部が説明するとおりに、本当にわたしたちが帰国するとき何の問題もないのか?インターネットにあるミャンマー政府風刺漫画を自分のブログにアップして12年刑を受けた学生、国際労働機構関係者の名刺をもっていると35年刑をうけた人、海外で団体をつくったとして不法団体設立嫌疑で35年刑を受けた人、台風被害地域に救護の手がないと外信に話したとして59年刑を受けた人など、ビルマ内ではこのような人びとがいるという事実を韓国法務部はちゃんと知っているのか心配だ。難民たちの生命保護決定を下す機関として。


 2010年に中東から来た難民申請者に会った。かれは故国で野党指導者であり、政治的迫害のため韓国に入り、難民申請をした。しかしかれもやはり難民申請は不許可だった。かれは「インターネットで自分の活動してきた野党とわたしに対する関連資料をたくさん見れるにも関わらず、韓国政府がなぜ難民認定を不許可としたのか理解に苦しむ」と言った。わたしも理解に苦しむ。


 2008年にわたしたちは難民として認定されなかったが、人道的地位を認定され韓国にずっと居住できるようになった。しかし人道的地位の者も難民申請者のように仕事はできなかった。わたしたちが難民室に出かけ、人道的地位許可証を受け取った日、法務部の職員がわたしたちに許可証を与えながら、仕事はできないと言った。笑い話ではないが、その言葉を聞くや、わたしたちすべてがただ笑った。ただ、言うことがなくて。


 だからわたしが「じゃあわたしたちはどうやって食べるのですか?」と聞いたが、法がそうなっているから仕方ないと答えられた。しかしわたしたちはその法を守れなかった。生きなければならないから、仕方なく仕事をした。数ヵ月後、難民法が改定され、人道的地位の者も仕事ができるようになった。難民室からわたしに電話がきて「もう仕事をしても大丈夫だ」と言ったとき、すでに仕事をしているわたしが答えられる言葉は「はい、ありがとうございます」だけだった。


 その後、2009年に難民法が改定された。この間、問題が多かった長く長い審査期間の期限の定め、審査結果が1年以内に出るようにした。そして審査期間が1年を越える場合、就業許可を出すということだった。しかし、相変わらず申請者が1年間、いかに食べるのかという内容はなかった。そして担当者が3人だけという出入国事務所難民室で、難民審査を1年以内に処理するというこは、相変わらず絵にかいたもちである。