韓国書籍紹介など

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【日本語訳】わたしたちはビルマ民主化運動家、あるいは韓国反政府運動家?―そもとぅ

わたしたちはビルマ民主化運動家、あるいは韓国反政府運動家?―そもとぅ


韓国語原文はスユノモWEEKLY
http://suyunomo.net/?p=8169


わたしたちビルマ行動の会員は、難民認定が拒否されるや、法務部長官〔法務大臣―訳者〕に対し異議申請をした。前回の記事で話した些細な活動であったとしても、ビルマ軍事政府はビルマ人たちに重い刑を下すため、わたしたちは、わたしたちがずっとしてきた多様な反政府活動によって、帰国時には確実に監獄生活をすることになるのだと異議申請をするときに表明した。異議申請をして数週間後、難民室から面談しに来いと連絡が来た。難民室関係者はわたしたちの団体の多様なビルマ反政府活動に対し質問紙、わたしはすべての質問に答えた。しかしかれはわたしを驚かすような質問をしだした。ビルマ行動がビルマ民主化のために活動していることはどうでもいいが、なぜ韓国政府に反対する活動をしているのかと聞いてきたのだ。その質問の意図を理解できず、なぜそんな質問をしたのか気になった。独裁国家であるビルマ政府がしている間違った行動を韓国政府がしているということなのか?だからわたしたちの団体が活動をしていることは韓国政府に反対する活動だと考えているのかと問うてみた。かれの答えには本当に驚くしかなかった。そしてそれこそが、わたしたちがビルマ反政府運動家でありながらも難民地位の認定を受けられない理由だと見えてきた。かれの質問に対する話をする前に、2007年度にあったことに対する話からしよう。


さる2007年2月11日、全羅南道の麗水市ファヂャン洞の麗水出入国管理事務所の外国人保護施設で火災が発生し、移住労働者10名が亡くなり、18名が負傷した。火災事故当時、保護(?)中であった55名の外国人のうち、28名だけが出入国管理所職員の助け(?)によって救助され、残りは火の手と鉄格子に閉じ込められ、煙によって窒息し、亡くなってしまった。外国人保護施設では、当然機能するはずのスプリンクラー火災警報器などの消防施設がちゃんと策動しなかった。


全羅南道の麗水地域の諸社会団体が「麗水外国人保護所火災惨事」をうけ、犠牲になった移住労働者を追慕し、再発防止対策と人権改善策などを政府に対し追求する追慕会を行った。とくに火災惨事以降にも、政府は違法性が問われる強制追放と反人権的外国人拘留施設を継続して運営していて、法務部(出入国)が外国人労組弾圧と標的取り締まりなどに乗り出している。


韓国が希望の場所だと考えて韓国に入ってきた移住労働者たちが毎日誠実に労働者として仕事をしているのに、ただ在留許可期間を越えたという理由が
死の理由に変わることに対し、移住労働者出身のわが団体が、どうして顔をそむけることができるか。だからわたしたちは、惨事追慕会や声明書に、ほかの人権団体とともに参与した。


難民室関係者の質問は、わたしたちの団体がなぜこの惨事に対し他団体とともに行動し、なぜ声明に参与したのかということだった。その質問がわたしの胸をつき、さびしい気持ちにした。ひとが死んだというのに、愛する家族に健康でちゃんと帰ってくるよと約束して韓国に来た移住労働者たちが灰になって家族のもとへ行くということが、同じ移住労働者であるわたしたちのみならず、だれが聞いても本当に惜しくて悲しいことなのに、、みんな愛する家族と大切な生命があるように、移住労働者も同じなのに。だからわたしたちはこれ以上このようなことが無いようにと願い、誰も悔しい思いをしないようにと願って、その追慕会活動に参与した。だからわたしは、難民室関係者の質問に傷ついたが、このように答えた。


「わたしたちは韓国政府に反対したのではなく、惨事にならないように話し、行動したことだった。誰もがこのような状況に賛成しないだろう。わたしたちがビルマ民主化のために活動をしているといっても、自分が来ている場所の状況に対し無視はできない。わたしたちが来ている場所で人権が尊重されるのかも、ビルマ民主化と同じくらいわたしたちにとって大切だ。だからわたしたちは、わたしの国であるビルマだけが民主化されればいいと考えておらず、わたしが来ている場所でもちゃんと民主化されることを願った。だからともに努力したのだった。ただ、難民認定を受けようと目の前にある人権侵害にまで知らないふりをするほどの卑怯な心がなくて、この行動をした。」


かれは、「では今後はどんな活動をするのか」と聞いた。わたしたちはこれからも同じように行動をしていき、人権を無視すれば、ビルマ政府であれ韓国政府であれ、どの政府であれ黙ってはいないと答えた。かれはわたしの回答をきちょうめんに書き付けた。その日のインタビューが終わった後、家への帰り道では、こころが本当に痛かった。


自分の夢のみならず、自分の体まで燃えて灰になった移住労働者たちに、とても申し訳なかった。これ以上このような状況が無いように努力する移住労働者たちまで、反政府勢力として見えるという現実が、本当に信じられなかった。そして難民審査とは、出身国家に帰国するとき迫害を受けうるだけの反政府活動をしたのかしなかったのかを審査するものであり、韓国政府にどんなことを言ったのかを審査することではない。


数ヵ月後、わたしたちの異議申請も不許可となった。その質問に対するわたしの回答のせいで、このような決定になったのだと考えたくなかったが、そのせいだったと知る機会があった。最初、その事実を、わたしたちの難民申請関連担当弁護士を通して知ったが、数ヵ月後にその事実をわたしの耳で直接聞ける日がやってきた。その話は次の回で書こう。