韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

廉想渉「除夜」の道徳・貞操批判

廉想渉「除夜」(1922)は力強い言葉が連続的にでてくる小説で、読めば読むほど味わいがあるが、その中の一文を紹介したい。
 
「いわゆる道徳という桎梏は、一人の男子に対してのみ一生涯を奴隷的奉仕に捧げねばならないという条文を、貞操の美だとか、情操の崇高だとかいう美しい衣にかくして、繊弱な女性に対して君臨する。さらに破行的に、女性に対してのみ厳酷だ。しかしいざ男子に対しても同一な要求をするとしたら、それは愚直であるがその実は虚偽に満足する盲従の徒として受け取られるであろう。感情が敏活で理知が明哲な男女に対し、美しい全生涯を代償なく犠牲に捧げよというのは、暴君のギロチンだ。おなじ顔を、24時間だけ見つめ合って座っているだけでも、頭痛が生じないというのは、むしろ愚鈍の極致であるだろうが、一生涯を黒髪が白髪になるまで見つめて座っていろというのは死刑宣告よりもどれほどマシであるというのだろうか。」(「除夜」『廉想渉全集』9巻、民音社、74頁)

追悼のある方式――「烈士」、「恨」、「葬儀闘争」

コ・ビョングォンのエッセイ集『黙黙』に掲載されている「わたしたちが生きる地はどこですか」という講演録より引用。これは「障害解放烈士団」で主催した「2017障害解放烈士の学び場」で「キム・スンソク烈士、その死後の生について」という題名で2017年11月23日に筆者が語ったものを文章化したものだ。ソウル市中心部にある地下鉄光化門駅にある障害者闘争座り込み現場については、訪れたことがある方、通り過ぎたりして目にされた方がいると思う。それとは別の現場である障害者雇用公団ソウル支部も、2017年から18年にかけて全国障害者差別撤廃連帯が占拠座り込みをしていたのだが、その現場で行われた講演である(なお占拠は政府との「最低賃金適用除外制度改変のためのタスクフォース」および「公共部門雇用一万個導入のためのタスクフォース」をつくり、そこでの協議を進めることを決めて「中断」された)。ここでは生きていても死者扱いされるのであれば、死ぬこととは何なのかが問われ、そこから「烈士」「恨」「葬儀闘争」という言葉が再定義されていく。

 

「治癒された者は去ります。ソクラテスはあちらの世界でも師匠に出会い、友に出会い、哲学者の路を歩み続けると語りました。しかし恨を持つ者は去らないのです。自分は死んでも去らずにここにいるのだと、あなたたちが闘う場所に自分の席もつくってくれと語るのが烈士です。烈士は死んでもここに留まる者です。哲学者は言葉を残して去りますが、烈士が言葉とともにここに留まります。

 

猶予された葬儀

 

 死者をそのまま死なせるわけにはいかないというのは、生者たちの要求でもあります。烈士が現世で死後の生を生きていく理由は、その者の意志と同じくらい生者の意志ゆえでもあります。少数者たちの闘争で葬儀闘争が持つ意味がここにあります。この世界から追い出された存在たち、この世界から排除された者たちがこの世界をただ単に立ち去るということ、それゆえこの世界に存在しないかのように存在していた者たちが、いまや存在しないものになるということ。この時、死は「死んだまま生きた生」に対する確証になります。存在することを否認されてきた存在が、最終的にその非存在性を確認する瞬間です。その者の死を認め、正常な生へと戻ることはできるのか。少数者たちにとってこれは簡単ではありません。なぜならその者の死はまた「死んだまま生きている」者たちの生に対する確証でもあるからです。したがって、その者の死を受け入れることができません。

 この場合、葬儀の儀礼はその者の死を否認するやり方でのみ可能です。その者はこのように虚しく消えはしないということを見せるやり方で、儀礼が行われます。その者は生きなかったがゆえに、死ぬことができないのです。その者はもっと生きた後にのみ死ぬことができます。葬儀はこれを再現します。

 キム・ジュヨン同志の葬儀の時を思い出します。鐘路警察署の付近だったと思いますが、誰かが涙をこらえて叫びました。キム・ジュヨン同志、生涯にわたり道を自由に動けないまま死んだけども、警察が再び塞いでいると。ここでの道は単純な意味ではありません。これは単純にあの世への行く道ではありません。当時、路上の葬儀が試みられたのは、死者が生きることができなかった生の試みです。死者はそこを自由に歩めてこそ生者になり、そうすることをもってこそその者は再び死者になることができます。

 ソン・グクヒョン同志の葬儀の時も同じです。かれは国民年金公団障害審査センターで活動支援サービス〔介助サービス〕申請資格すら否認されました。ぎりぎりの生活を繋いでいったかれは、キム・ジュヨン同志と同じく、一人で炎から逃れることができないまま死にました。路上の葬儀を行うなかで、障害者たちは市役所の前にかれの棺を置きました。市役所で自分の権利をもっと主張せねばなりません。ここままでは死ねません。かれはもっと生きた後にのみ死ぬことができます。かれは、障害者は、まだ死ねません。かれにとっては「果たせなかった」ものがあるからです。」コ・ビョングォン『黙黙』トルペゲ、162‐4頁。

スユノモN(およびスユノモ104)のウェブマガジンに書いたもののリンク

むかしスユノモのウェブマガジンであれこれ日本語書籍について要約紹介する連載をしていたのですが、誰かの参考になるかもしれないと思い、リンクをいくつか貼ります。おもしろい本の中でも、できるだけ韓国の読者がいなさそうな本を選んで書いていました。リンク先は全て韓国語文章です。

 

https://nomadist.tistory.com/613?category=849409
本源的蓄積に抗うコモンズと蜂起――マニュエル・ヤン『黙示のエチュード新評論、二〇一九。

 

https://nomadist.tistory.com/540?category=849409
日本資本主義はかくの如き回転した――平井正治『無縁声声 日本資本主義残酷史』藤原書店、二〇一〇。

 

https://nomadist.tistory.com/537?category=849409
暴動と虐殺の男性性――藤野裕子『都市と暴動の民衆史』有志舎、二〇一五。

 

https://nomadist.tistory.com/532?category=849409
朝鮮戦争時代の「工作舎」たちの文化=政治――道場親信『下丸子文化集団とその時代』みすず書房、二〇一六。

 

https://nomadist.tistory.com/526?category=849409
都市の声を聞く――原口剛『叫びの都市』洛北出版、二〇一六。

 

https://nomadist.tistory.com/480?category=849409
ある反戦運動――関谷滋・坂元良江『となりに脱走兵がいた時代』思想の科学社、一九九八。

金賢京『人、場所、歓待』(青土社、2020)は、諸論点で重要な指摘をしているが、そのうちの一つとして、以下の引用のようにネオリベラリズムと家父長制の関連様相を浮き彫りにしている点がある。この点はドラマ『スカイキャッスル』などを分析するさいにもぴったりである。わたしはこの本を訳している時にちょうど『梨泰院クラス』を見ていたのだが、『人、場所、歓待』に出てくる分析がほぼそのまま『梨泰院クラス』に出てきて驚いた記憶がある。『梨泰院クラス』をはじめとする韓国ドラマを理論的に分析するさいにも『人、場所、歓待』は使える本だと考える。

 

 「一言でいって家父長制は理念形としての現代社会と原理的に対立する。現代社会はすべての構成員が人として現れる社会であり、地位や役割、または利害関係を越えて人として互いに対することができる社会だ。換言すれば、現代社会では皆が皆に対して友情の可能性を開いておく。家父長制はこの理念形の対立物を構成するが、まず戸主=男性にのみ完全な人の地位を享受させて残りの構成員はかれの所有物と似たような状況にあるという点で、そして人に対する関心ではなく物に対する関心が家族関係を支配するという点でそうなのだ。家父長制において女性と子供たちに与えられる成員権の不完全さは友情の制約につながる。友情は男性的な美徳であり、主に男性主体の人格的成熟というテーマと結びつく。
 デュルケームやベッカリーアのような現代性modernityの支持者たちは家父長制の解体が歴史的必然だと信じた。デュルケームの進化論的図式を参照し(かれの説明だけに依ることなく)この過程を描けば次のようになる。伝統的家族の土台は財産(土地、家業など)だ。家族は一つの経済的単位として、この財産に付いて暮らし、またこの財産をめぐって争いもする。財産を統制する人は残りの構成員たちを統制できる。現代家族はこれと異なり愛情を結束の基礎にする。これは産業化が多くの職場をつくりだし、子どもたちに親の財産を相続せずとも自分の才能と努力で食っていける機会を与えるからだ。公教育制度の確立と能力主義meritocracyの拡散は、とりわけ貧しい家の子どもたちに階層上昇の通路を開くが、これはかれらが親の知りえない世界へ入って親とは異なるやり方で生きていくことを意味する。青少年期の生の内容が学校中心で占められ、学校が子どもたちを大人の世界に導く決定的な役割を担いつつ、親は早くから子どもを独立した個体として見なすことになる。他方で女性は男性と同等に教育をうけて職を持ち、家父長的家族の中に固定されていた自分の位置、永遠なる未成年の位置から抜け出す。家族構成員たちがそれぞれ自律性を得るにしたがい家族関係は水平的なものになり、家族は利害関係から離れて純粋な愛情をやりとりできるようになる。
 しかし韓国社会が(デュルケームが家父長制の終末と連関させた)高度の産業化と学力化、そして身分秩序の解体を経ているあいだ、家族は右記の図式とは全く異なる姿に進化した。デュルケームの予見とは異なり、能力主義社会の到来は相続制度の消滅をもたらさなかった。相続方法ないしは戦略を変えただけだ。親は財産を直接相続させる代わりに、子どもの身体にそれを投資し、その身体に相続させることを決心した。そうして子どもたちは相続者であると同時に投資対象、つまり財産自体になった。見かけ上、多くの点で家父長制と離れているように見えるこの新しい家族の中で、財産の管理――つまり子どもたちの身体と時間割の管理――は今なお構成員たちの関心を支配する。相続が特定の時点ではなく養育機関全体にわたり続くことになるがゆえに、家族は慢性的な葛藤状態に置かれる。親の相続プロジェクトに同意するが物扱いされることを望まない子どもたち、財産管理人としての自分の役割を認めてもらいたい母親、家長でありながらもこのプロジェクトから疎外されていると感じる父親が葛藤の三大主役だ。毎年増え続ける学校と家から去る青少年の数字は家族の危機を知らせる多様な症候とともに、このプロジェクトがいかに危険で成功しにくいかを示している。
 韓国家族は構成員たちのあいだの紐帯が物に基づくがゆえに、経済危機にかなり脆弱だ。家長の失職は直ちに家庭不和、暴力、離婚、児童遺棄に繋がる。お金を稼いでこれなくなったら父親ではないと人々が述べ、妻が述べ、なによりかれ自身がそう考えるがゆえに、職を失った父たちはみすぼらしくなり、それと同じくらい乱暴にもなる。父親だけではない。家族全体が同じ論理に縛られている。ご飯をつくってやれなければ母親じゃない、勉強をできなければ子どもじゃない、老いたら死ぬべきだ……。あたかも自分の有用性を立証できなければ家族の一員になれないというように(有用性は物の属性だ)。
 韓国家族はなぜ「人に土台を置いた家族」へ移行できないのか? この問いに答えようとすれば友情の条件に対する議論に戻らねばならない。人に土台を置く家族、あるいは関係それ自体が重要な家族――「関係的家族」 ――の構造は友情の構造と似ている。関係のなかの諸個人が互いを道具化せずに人として対することができるのは経済的な関心を関係の外へ押し出したからだ。経済的な関心が真ん中に置かれるやいなや、関係は複雑になり不安定になる。心がお金に換算され、お金が心に代わり、ともしていた時間全体が投資、期待、利益、損害、清算のような経済用語で記述され始める。しかし経済的な弱者たちが頼れる最後の砦が家族ならば、経済的関心を家族の外へ押し出すことがいかにして可能なのか? 資本主義的産業化は無給家族従事者や専業主婦のように家族を媒介に経済に間接的に接続している諸個人を労働市場に引きずり出す傾向がある。非契約関係から契約関係へ、または贈り物経済の領域から貨幣経済の領域へのこのような移動は、諸個人を人格的従属の危険から抜け出させ、労働の価値を認められるための果てない闘争から解放させる。しかし資本主義の発展が家族の経済的機能を完全に剥奪するのではない。むしろ資本主義経済の中で家族は労働力再生産の拠点として、そして失業の衝撃を吸収し、経済拡張に備えて予備人力を貯蔵する場所として特別な重要性を持つことになる。「家父長制を補完する国家」が時代錯誤的だと非難されつつも、資本主義と立派に調和をなす理由がここにある。家父長的家族から関係的家族への移行は産業化が伴う自動的な変化ではない。二つの形態の家族は同時性の中にあり、資本主義は後者をつくりだすのと同じほど前者を必要とする。
 結局家族を友情の原理によって再組織しようとする現代の企画は友情がぶつかるものと同じ障害物にぶつかる。他人との人格的関係に頼って物質的な必要を解決する人々の存在がそれだ。かれらが人として別の人々と自由で平等で打算的ではない関係を結ぶことはいかにして可能か?  人の地位を法的で儀礼的側面でのみ――つまり形式的観点においてのみ――規定し、人らしく生きるさいに必要な物質的資源の問題を無視するならば、わたしたちはこの質問に答えられない。友情の条件に対する議論はこのようにしてわたしたちを贈与と歓待の関係に対する考察へ導く。」(日本語版、184~187頁)

生死を賭ける、存在を賭ける――李珍景『金時鐘、ずれの存在論』の議論紹介

李珍景が『金時鐘、ずれの存在論』(2019)で議論している「生死」を賭けることと「存在」を賭けることの差異について引用紹介です。ちなみに「死への先駆」はハイデガー存在と時間』に出てくる言葉です。

 

 「生の真実性とは「存在を賭けること」であると述べたが、「存在を賭ける」とはいったいなにか? しばしば言われるように命を賭けることか? そうかもしれない。しかし、命を賭ける術を知らない者や「死へと先駆」できない者たちを生の真実性から排除し、心を打つが限りなく狭苦しい英雄的観念によって存在と生を制限してはならない。じっさい「多くのことを考ると」命を賭けにくくなる。論理的に同値である命題を逆からいえば、命を賭ける者たちは、あまり考えていない。ただひとつだけを考える。であるならば「簡単に」命を賭ける者たちは、そのひとつすらも「簡単に」考えるのではないか? それはわからない。内心が分からないので断言できない。ただ明らかなのは、簡単に命を賭けろと要求する者たちに対しては、その者たちが本当に多くのことを考えてそのような要求をしているのか、生を深く考えてそのようなことを言っているのかを疑うべきだという事実だ。多くのことを考えるならば、決して簡単には命を賭けろとは言えない。
 命を賭けることも、命を賭けろと言うことも、決して簡単なことではないだろう。しかし戦争時に、どの国家であれ「命を賭けろ」とかくも容易く言うのを見れば、命を賭けろということは、そう難しくないようだ。少なくともそのような言葉を全く困難なしに述べる者たちがかなり多いことは明らかだ。命を賭けることはだれにとっても簡単なことではないだろうが、国家の旗の下に喜んで死んでいく兵士たちが少なくないことを見れば、これもまたしばしば考えられるほど難しいことではないのかもしれない。
 存在を賭けるということは、生を賭けることだ。命を賭けるということは生命を賭けることだが、生を賭けるのではなく死を賭けることだ。死の瞬間へと先駆するとき、背後に貼りつく恐怖を耐えることだ。その恐ろしい瞬間を、ふたつの目をじっとつむって耐えぬくことだ。ある人は生きてきた生全体を賭けると述べたが、それは賭けたくても賭けることができない。すでに過ぎさってしまったものだからだ。にもかかわらず命を賭けることがすべてのものを賭けることであるかのように重々しく近づいてくるのは、そのとき耐えねばならない恐ろしさが、かくも大きいからであろう。また先駆していった者には、その待機の時間がこの上なく長く感じられるからであろう。エピクロスの言うとおりに、死の苦痛とは生きる者は感知できず、死んでからは感知する能力がないので、だれも経験できないものだ。ただ先駆する者としては、だれも知りえない死以降の時間に対する恐怖と不安を死の時間まで耐えねばならない。それがかくも重いのだ。恐ろしいのだ。
 存在を賭けることは死ではなく生を賭けることだ。生自体を賭けることだ。生を賭けることは生きている時間の持続を耐えぬくことであり、その持続する時間のあいだ近づいてくるあらゆる事態を耐えぬくことだ。生を否定しようとする多くの反動的(reactive)な力に立ちむかい、生を押しひろげることだ。生きているがゆえに決して避けえない、あらゆる感覚を通して感知するしかない諸瞬間の重みを踏みしめて繰り返し立ちあがることだ。それゆえ一瞬の重さへ還元できる死の瞬間を耐えぬくことではなく、生きている限り持続するしかないあらゆる瞬間の持続を、その重さの持続を耐えることだ。その重さの摩擦を越えて、そしてまた越えて生を押しひろげることだ。」(李珍景『金時鐘、ずれの存在論』図書出版b、2019、第二章)

 

正しい言葉が登場する時――スユノモが解体した時についての高秉權の議論から

 『哲学者と下女』が日本語に紹介されている韓国の哲学者である高秉權(コ・ビョングォン)のエッセイ集『黙黙』に、2009年にスユノモが解体したさいに「正しい言葉」がいかに用いられたかが論じられていて刺激的です。このような状況は、スユノモに限らず多々あることだと思います。

 なお、高秉權の書籍としては、『貨幣、魔法の四重奏』(2005)、『追放と脱走』(2009)、『民主主義とは何か』(2011)、『占拠、新しいガバメント』(2012)、『哲学者と下女』(2014、日本語訳はインパクト出版会)、『生きていく』(2014)、『黙黙』(2018)の他、共著も多数あります。ニーチェ論としては『ニーチェ、千の目、千の道』(2001)、『アンダーグラウンドニーチェ』(2014、曙光論)『ダイナマイト・ニーチェ』(2017、善悪の彼岸論)があり、さいきんは『資本論』第一巻の講義録が全12巻(!)で完結させています。また、マルクスエピクロスデモクリトスの自然哲学の差異』の韓国語訳者でもあります(2001)。

以下は題名に記した議論の部分引用紹介です。

 

 「スユノモが壊れた時の記憶だ。これは「言葉の限界」でもあるが「限界へと追いやられた言葉」についてのことでもある。10年続いてきた研究共同体が壊れる時、荒い言葉が行き来した。しかし言葉の戦争が始まる前に、いつからか「正しい言葉」の専制的支配が持続していた。いつからだろうか、誤った言葉、中身のない言葉、意味のない言葉、おかしな言葉が辺境へと追いやられたり、消えたりした。全体の集まりでしゃべる人々の数は急速に減った。わたしを含む少数の人々だけが大きく喋り、長く喋った。常に「正しい言葉」、「然るべき言葉」だけをしゃべる人たちのことだ。
 正しい言葉がかくも多く溢れかえったにもかかわらず、共同体が大きな危険に陥っていることを、みなが感じていた。しかし危険を感知すればするほど、正しい言葉がさらに多くなった。言葉はしだいに法に似たものになった。そして正しさ(right)と権利(right)を問いただしたり言い争ったりする言葉が横行すればするほど、わたしたちの共同体は国家に似ていった。
 政治哲学者たちが指摘するように、法とは主権のことだ。共同体が国家に似ていくこととともに「正しい言葉」は「律法」に似ていく。わたしはここで「正しい言葉」の限界を明らかに目にした。だからわたしは抵抗の言語として叫ばれる時すら「正しい言葉」、「権利の言葉」をそれほど信頼しない。
 〔中略〕主権の言語としての正しい言葉が支配すれば身体は凍りつく。中身のない言葉、ばかげた言葉、誤った言葉の重大な機能がここにある。その言葉は雰囲気を解かし、正しい言葉がもたらしうる否定的効果(硬直性や退屈さ)を制御する。誰かの中身のない一言は、別の誰かが言葉を語れるように、空気を柔らかくする。誰かのとんでもない誤った言葉は、誰かに対し言葉を切り出す勇気を与える。たとえ仲間に対する命令になりうるような「正しい言葉」が友情に満ちた助言になりうるのも、このような言葉のおかげだ。さらにいえば、このような言葉は、討論を通して一つの結論が導出される時にも、その結論が整理されすぎないように、欠点を残したり、少なくとも落書きくらいはしておく。
 正しい言葉を制御したり助けたりするこのようなものが作動しない時、それゆえ正しい言葉が単に正しい言葉に留まる時、暴力が登場しうる。暴力は正しい言葉を弾圧する時も動員されるが、わたしが体験した暴力的状況は、おおよその場合正しい言葉を語る側で作り出された。喋っても耳を貸さない人が生じ、言葉がいかなる変化も惹起できないと判断する時、正しい言葉を語る人々は強制を暴力を動員してでも、自分の言葉に力を込める。言葉自体に力がないから、言葉にいかなる魅力もないから、強制によって言葉を貫徹させるのだ。処罰の威嚇、とりわけ追放の威嚇が正しい言葉のそばに控えているなら、暴力は後戻りできないほど進行していると言える。」
コ・ビョングォン『黙黙』トルペゲ、2018、38‐40頁。

『82年生まれ、キム・ジヨン』を「政治的正しさ」から解くために――オ・ヘジンの議論より

『82年生まれ、キム・ジヨン』は韓国でもベストセラーになり、当たり前ですが、文芸誌上で議論が紛糾し、その中には「あれは小説になっていない」という風なありがちで別に参照しなくてもいいようなもの以外に、きちんと検討すべきものも多数提出されました。そのうち、オ・ヘジンの議論は、『キム・ジヨン』を「政治的正しさ」として語るやり方を解くための観点を模索し、いかに『キム・ジヨン』を批判的読解の対象にしうるのかをめぐる問いの立て方を再検討するさいに役立つと思います。日本語でも「ヨイショ」する記事を越えるものをどんどん出していくために使える議論ではないかと思います。

「「政治的正しさ」という嫌疑を強く受けている『82年生まれ、キム・ジヨン』をはじめとする、最近のいかなる「フェミニズム小説」も、多元性自体を物神化するやり方のナラティブを駆使しなかった。むしろ最近の諸「フェミニズム小説」の本当の問題は「多元性」の削除、つまりすべての小説が具現するフェミニズム政治学が「異性愛者‐既婚‐非障害‐中産層‐非トランス女性」の市民権を確保しようという目的に収斂されているという点を指摘せねばならない。

 強調すれば、『82年生まれ、キム・ジヨン』の「図式性」は「男性と女性を絶対的関係として描いた」ところにあるのではない。「図式性」は「合理的男性」を聴者と設定し、自らを「無垢で平均的な女性」であると主張する女性人物「キム・ジヨン」が試みる「理想的な」未来が、既存の異性愛中心的性体系を相対化することとは無関係であるという点、そこには「男性と女性」だけで構成されたものとして認識されている性的秩序が捉えることのできない多元的主体とその存在方式に対する想像が欠落しているという点にある。すなわち『82年生まれ、キム・ジヨン』の問題性は、すでに教条化されている「美学性」概念を基準に裁断された「美学的欠如」や「政治的正しさ」ではなく、現実の性的秩序を再組織するための急進化した政治的想像力の欠如、つまり「政治的鈍さ」に求めねばならない(もちろん、この政治的「鈍さ」や「怠慢さ」すらも、この本を媒介にジェンダーセクシュアリティの問題を社会変革の重大要素と認識することになった若い読者たちの躍動によって、いくらでも「急進的なもの」へと変容・受容されうる)。

 さらに言おう。『82年生まれ、キム・ジヨン』などが「政治的正しさ」に捕われたと批判されたが、じっさいフェミニズム政治学から見れば「純真で無垢な被害者」という典型(stereotype)を体化している「キム・ジヨン」という人物は、決して「政治的に正しくない」。文学研究者のホ・ユンは『82年生まれ、キム・ジヨン』が「犠牲的女性とその挫折というロマン的構図を抜け出しえていない」という点を指摘し、「これほど「かしこまった」ナラティブが政治的に正しいテクストと評価されるならば、むしろ文学が想像する政治的正しさがなんであるのかを問い直さねばならない」と主張する。「女性作家が女性の経験する生の脆弱性を再現することが政治的正しさ」であるならば、「暴力の被害者である女性を女神化したりスケープゴート」として描く最も「典型」的テクストが、すなわち最も「政治的に正しい」テクストになってしまうというナンセンスが発生するというのだ。〔この段落末尾に脚注23番。内容は「ホ・ユン「ロマンスではなくフェミニズムを!――「キム・ジヨン」現象と読む読者の欲望」『文学と社会』(ハイフンの方)、一二二号、二〇一八年夏号」〕

 まったくそうなのだが、もし『82年生まれ、キム・ジヨン』がフェミニズム政治学に定礎された「政治的正しさ」に立脚した人物を描こうとしたならば、「キム・ジヨン」は互いに異なる世代の女性たちが体験する苦痛を一身に体現可能なものへと同質化して、「失神」や「憑依」のような非理性的なやり方でのみ自分の欲望を表出できる女性であってはならない。「キム・ジヨン」は論理的で現実的な理性の言語で「合理的男性」をはじめとする実在する聴者たちを説得し、かれらと協商し、女性人権伸長および女性嫌悪文化根絶のために政治的・社会的・経済的・文化的認識と制度の更新のために闘う女性として描写されねばならなかっただろう。女性人物を無垢な被害者やスケープゴートなどへと典型化・ジェンダー化した『82年生まれ、キム・ジヨン』は、明らかにフェミニズム政治学に立脚して批評的に突破すべき一事例であることに間違いないが、それが「政治的正しさ」「アイデンティティの政治」という概念を物神化したり機械的に適用するやり方で達成できるはずはないこともまた明白だ。」(オ・ヘジン『至極文学的な趣向』五月の春、2019、195-7頁)