韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

新刊紹介。李珍景『生のための哲学授業』

ものすごく久々に投稿しますが、エッセイ的な本で、おもしろい本が出たので、その紹介です。



李珍景『生のための哲学授業(삶을 위한 철학 수업)』、文学ドンネ、2013




少しだけ引用をします。



「まきこまれを通してわたしはようやくわたしを抜け出る。どうにもできなくなることなしに、決して抜け出る術を知れないこと、それがすなわち自我だ。愛と魅惑の受動性とは、この自我を抜け出させる「どうにもできなさ」なのだ。」(94頁)


「愛する者と出会ってから自らの生が変わったと言えないのであれば、それはまだ愛をし始めていないということだ。」(95頁)


「恋愛のゲームに勝つことは、自らの意思を貫徹させ、相手の心を掌握することであり、それを以て自らの世界を他人の心の中へ押し込めることだ。愛の主人になることだ。しかしそのためには、愛に狂ってはならないのだ。相手よりももっと愛してはならないのだ。なぜなら相手に魅惑されるとは、相手にまきこまれ、自らの主導権を失うことであるためだ。」 中略 「したがって「駆け引き」という恋愛ゲームで勝利すればするほど愛の心はだんだん薄っぺらくなるのだ。相手に対する主導権が大きくなればなるほど、愛の熱情は弱くなる。その終着点は、相手を全的に掌握するかわりに、相手の心が全的に消滅することだ。」(同書、96-97頁)


とりあえず、簡略なメモだけノートしておきます。

7月29日、トゥムルモリ行政代執行抗議集会およびデモの画像

集会。野菜や、柔らかい草がくばられる。




かかし。じつはこの台車がサウンドカーの役割りをする。発電機も積んでいる。



集会で歌うムキムキマンマンス



なんと明洞入口で、デモが立ち止まった。休憩ということで、農民のスピーチを聞く。



休憩の度に、チョークで地面にメッセージや絵を書く。



ある農民が書いたメッセージ。「これ以上生命を踏みにじるな!」



ヤマガタトゥウェイクスターの律動にのって道をねりあるく。



チョンゲ広場へ。



田植えのパフォーマンス。それぞれがチョークをもって、一斉に地面を描く。チョンゲ広場でも留まって、発言時間がとられた。



こんな感じ。



同じくこんな感じ。



デモは代執行を予告してきた国土部ソウル支部の前におしかけ、農民のスピーチ。



国土部の前に、トゥムルモリの土と種でつくった団子を積み重ねる。




国土部前で、バンドの公演にあわせて踊り倒す。警察は呆然。



最後に声明書をよみあげる。(前日のブログ記事参照http://d.hatena.ne.jp/kwagae/20120730/1343610150

【日本語訳】7月29日、「トゥムルモリ有機農行進」の声明書

トゥムルモリは北ハンガンと南ハンガンが合流する地点にあり、そこでは30年以上前から有機農業が行われてきた。しかし韓国政府の推進する4大河川事業によって、この地の農地は破壊され、自転車道路がつくられようとしている。その工事のための行政代執行が8月6日早朝に予告されている。それに反対し、そして抵抗する運動が続いている。7月29日、ソウル市中心部で行われた集会とデモの声明文を訳載する。




トゥムルモリで会いましょう



国土海上部〔日本の国土交通省にあたる―訳者〕が、8月6日付でトゥムルモリの行政代執行を予告しました。トゥムルモリとともにあった時間が、頭のなかをかすめていきます。


まね物の生態公園や自転車用舗装道路が有機農地の保存と農業よりも公益的だというのですか?その工事が迫っているから直ちに農作物を踏みにじり強制撤去をし、その費用までを農民が負担しろというのですか?最後にはわたしたちから農地を奪うというのですか?三十年以上、農業をやってきた土地であるトゥムルモリ、韓国の有機農業の発原地であるトゥムルモリ、そしてなによりもわたしたちが出会い、ともに農作業をして守ってきたトゥムルモリを?4大河川事業の重装備が深刻な脅しをしかけてきていることを、全身で感じています。思いを集まるときなのです。


砂一粒に数十億年の風化された時間がこもっていて、土一掴みに数十億の微生物が生きているということを学びました。4大河川事業は、土地にこもっているこの時間と生命を軽々しく思っているために可能になった不幸だったのです。世と調和して生きていく方法のひとつとして有機農業を選んだトゥムルモリの農民たちは、この4大河川事業を、勇気をもって止めようと、さる3年間闘争を続けてきました。この闘いのなかで、わたしたちは外部人であるのみではありませんでした。わたしたちは田畑にともに種をまく人であり、トゥムルモリの田畑が消えていくことを想像したことない人たちです。わたしたちはこの土地がレジャー施設ではなく有機農地として保存されるように、農民たちの思いを支えてきた田んぼ委員として、農民たちの支持勢力であり、親しく付き合ってきた友なのです。川辺が持つ豊かな価値を遅いながらに悟った人であり、共有地の意味を新しく悟った人です。だからわたしたちはともに闘うのです。


今日の有機農行進はわたしたち自身に、そしてクレーンとブルドーザーに、同時に送る招待状です。わたしたちはこれからトゥムルモリで出会う可能性が高いですよね。あの人たちはわたしたちを戦争へと招待しますが、わたしたちは対話の場へと招待します。国策事業と仰いましたね?国策事業を打ち立てるときには地域の特性、歴史性、地域民や環境に及ぼす影響を充分に検討しなればならないのではないしょうか?問うことも検討することもなく、一方的で画一的な乱開発計画を建てるのは、農民と地域民を脅迫して追い出すことですよ。農地と自然を無惨に破壊する全国的な河川殺し事業を押しつけるだなんて、その国策事業が何がそんなに優越したものなのか説得してください。トゥムルモリ農民たちに再三罰金爆弾を抱えさえたり、レイムダック政権に奉仕しないでください。この国家暴力と自然破壊は、いまや単純な良心の呵責だけでは、砂の時間が流れても返せない程度にまで至りました。だからトゥムルモリで出会えば問いたださなければなりません。有機農が癌を誘発し、水質を汚染すると嘘を留保した罪、紙を裏返すように言葉を変え、約束を破った罪の責任を問いたださないといけません。わたしたちは工事ではなく農業をして暮らすことを願います。取り返しがつかなくなる前に農業の価値を悟り、わたしたちの要求を受け入れろと、ともに要求してください。なにが真で公的なことなのか、農民とわたしたちが開く論議の場に、ぜひ出てこいと催促してください。わたしたちが間違っているのなら、なぜ間違っているのか言ってみろと、かれらを圧迫してください。


トゥムルモリで会いましょう。トゥムルモリの畑にまかれた種のように、いまやわたしたちが土の外へ身体を出していくときなのです。国土海上部、建設大資本、水資源工事と御用学者たちが、わたしたちをなぎ倒そうとするだろうし、わたしたちの水の流れは、ややもすると本当に割れてしまうかもしれません。あのひとたちが予告した8月6日以降にも、わたしたちはもっと多くの日々を重ねて、かれらとぶつからなければならないです。あの人たちが、いま公有地を喋りながら、公的なものが何なのか知らず、環境への配慮だとかグリーンだとかいう言葉を盗んでいきながらも、水、土、生命に対して全く知れていないのです。しかしわたしたちは、有機農作物のように、力が強く、あるいはお互いに頼れる気持ちを与え与えられることに能があるのではないでしょうか?自然生態をいじり、薬をばく、あのひとたちの欺瞞には、絶対に合意しないわたしたちは、いつでも新しくトゥムルモリ有機農の思いを充電し、出会うのです。そしてあのひとたちが、どんな姿でわたしたちの愛する田畑へ押し寄せてくるのか、見守るのです。砂ほどの時間がかかったとしても、あの人たちの間違いを、明らかに元通りにします。そうです、これは、この招待状を受け取ったみなさんが、わたしたちとおともにあの人たちと向かい合ってくれという招待状です。お金のオバケと聞こえましたか?乱暴にハンガンの第一工事区域であるトゥムルモリ地区の予算をつまみ喰らおうとする、あの人たちです。多方面で対話を要求しても、一生懸命行政代執行のみを叫ぶあの人たちです。あの人たちが、必ずやショベルカーとブルドーザーで4大河川工事の完成の、最後のパズルをはめ込もうとするなら、わたしたちはトゥムルモリに対するわたしたちの友情を告白するでしょう。その告白にみなさんもともにいてください。そのような意味の招待状です。


ともに最後まで闘いましょう。わたしたちはこれ以上、退く土地すらありません。わたしたちには、レジャーあるいは生活、発展あるいは田んぼ、工事あるいは農業、ただ両者択一の選択があるのみです。ともに最後まで闘いましょう。別れることなく、わたしたちの遊び場よ、わたしたちが好きなご飯、わたしたちの好きな友である、トゥムルモリで待っています。


国土海洋部が予告した行政代執行を一週間残す7月29日


トゥムルモリ有機農行進参加者一同

【日本語訳】民間資本学生寄宿舎の裏話

『延世』92号、2012年夏号より




民間資本学生寄宿舎の裏話

民間資本寄宿舎は高い。「高いけど、よい」という人もいるし、「よいけども、高い」という人もいる。「高いけど、よいのだから大丈夫だ」あるいは「よいんだけど高すぎて負担が大きい」の論争はさておき、気になってしかたない。高い寄宿舎費はどこへ行くのか?

民間資本寄宿舎とは「民間業者の資金を誘致して建築物を建て、一定の期間の中で資金を返還そいていくという「民間資本誘致」方式で建てられた寄宿舎」のことだ。私立大で最初の民間資金寄宿舎は建国大学のクールハウスだ。2005年2月、建国大学は民間資本寄宿舎建設のために金融会社と事業協約を締結し、建築資金を集めるために発行したファンドは一日で300億ウォンを集め、「大成功」をした。経済日刊紙はこぞって「大学施設投資に「金の風」が吹く」、「隙間産業として目立つ寄宿舎」などの記事を載せ、資本の大学入場を祝った。



クールな寄宿舎、寄宿舎費はクールに出せないよ

2006年夏、「新概念キャンパス住居環境造成」というキャッチのもとに建国大学の寄宿舎クールハウスが開館した。「ホテル型寄宿舎」を標榜したクールハウスは、オンドル完備の上に「duoback」の椅子、シーメンスのベットなど、最高級家具および冷蔵庫が備え付けられた「クールな」スペックを持っていた。しかし寄宿舎に暮らす立場からみると、寄宿舎費を見て「クール」になることはできない。一学期あたり、一人部屋の場合、基本が300万ウォンを超える。一月に50万ウォンをこえる寄宿舎費は、大学の外のオフィステルの一月の家賃と変わらない。民間資本寄宿舎を建てるためには寄宿舎を建てる民間企業を設立しなくてはらない。もちろんこの民間企業は現実には存在せず、書類上にのみ存在する会社だ。建築費を出す金融会社と、建物を建てる建設会社が参与し、「特殊目的会社」として民間業者をつくる。大学と建築会社、金融会社が共同代表になる。共同代表は分業を通して、それぞれのすべき仕事をする。金融会社が一定の金利で金を貸し出せば、建築会社はその金で建物を立てる。

工事中には民間業者が建物の主人だが、建物が完成すれば民間業者は寄付の形で大学に所有権を渡す。しかし事業権は民間業者が持っている。民間業者は10〜20年にわたって管理費を受け取り、建築費と利子を支払う。やり方によっては、民間業者が直接寄宿舎を運営したり、大学が民間業者に対し使用権を貸与したのち、貸与料を受ける。



寄宿舎費の半分以上が建築費と利子だって?

運営方法によって違いはあるが、結局民間業者は寄宿舎費を通して建築費と利子の返還を受ける。建設会社は寄宿舎を建て、事業利益を得て、民間業者の「大スポンサー」である金融会社は寄宿舎費を通して貸与していた金と利子を得る。金融会社と建設会社が寄宿舎費をなかよくわけてもって行くというやり方だ。

学生の立場からみればじっさい寄宿舎を運営するために必要な費用以外に建築費と利子をさらに負担するということになる。問題は寄宿舎費のうち、建築・利子にあてられる費用の占める比率が、運営費と同額かあるいはそれ以上だということだ。ある大学の場合、寄宿舎費の63パーセントに至る。建築費と利子を支払わなければ、寄宿舎費は半分ほどに減る。ここまでくれば、寄宿舎を運営するために建築費と利子を負担しているのか、建築費と利子を払うために寄宿舎を運営しているのか、こんがらがる。

追加負担金が高くなる理由は「クールな」寄宿舎を立てるために建築費がかかったということもあるが、それよりも利子負担が占める比重が大きい。住居問題に関するドキュメンタリーを製作している「親切な未分譲」のチームは、第三話「うちの大学の寄宿舎費55万ウォン」にて、民間資本寄宿舎建築費の高い利子が問題点だと指摘した。ここでいう「うちの大学」とは延世大学のSK国際学舎だ。SK国際学舎の建築費の利子率は、年利率4〜6パーセント水準であり(注:利子率は国債金利+1.4パーセントであり、国債金利の変動により5年ごとに再調整される)、約300億の建築費に対して20年間支出する利子率をすべてあわせると200億ウォンを上回る。おどろくべき事実は、全体の利子が実際の建築費の70パーセントに達するにも関わらず、SK国際学舎は、成功例として評価されるという点だ。建国大学のクールハウスの場合、資金が400億ウォンほどなのにもかかわらず、15年にわたり支払われる利子が370億ウォンに達する。まさに利子のおまけに建物が立てられたということだ。

民間資本寄宿舎の王とでもいうか、最近論議をおこしている西江大学の寄宿舎だ。西江大学の寄宿舎建築費の利子率は年間8,45パーセント。そのうえに10年間は利子のみを納付し、10年後から原資金を返していくという条件の下に毎年20億ウォン相当の資金が利子にのみ抜け出ていく。寄宿舎費も2人部屋で6ヶ月あたり200万ウォンを超え、最高価であることを自慢にしているほどだ。高い価格に負担を感じる学生は寄宿舎を忌避し、開館一年目の寄宿舎は半分しか学生が入らなかった。寄宿舎に学生を満員にできない場合、大学が民間業者に運営費を補償しなければならないため、低い入舎率は、学費が引き上げの要因としても作用する。

さる3月、西江大学の総学生会はこのような契約を通して銀行が行き過ぎた暴利を得ているとして公正取引委員会に民間業者を提訴した。公正取引委員会が契約が不公正であるという判決を出せば、民間業者は利子率を下げたり、これまで受け取ってきた金利の一部を返さなくてはならない。

民間資本寄宿舎の設立は2005年の大学設立運営規定が改定されたことにより可能になった。興味深い事実は、規定の改定が「経済活性化のための政府の総合投資計画」の一環としてなされたという点だ。教育部が親切にも建設景気と金融景気をよくするために大学の運営規定を変えてあげたということだ。じっさいに民間資本寄宿舎に資金を貸す「寄宿舎ファンド」は金融投資者たちにとっては高い受益率を保障する孝行息子的な商品だ(注:建国大学寄宿舎基金のファンドである「サヌン建大愛寄宿舎ファンド」は8.35パーセントの利率で不動産ファンド中では最高の受益率をはじき出し、西江大学寄宿舎基金ファンドである「西江愛ファンド」は20年間継続7.2パーセントの受益を保障している)。ファンドに投資するのは、おもに「余裕のある金」を持つ企業であるという点を思い出せば、疑問が生じる。よくない住居に暮らしている「88万ウォン世代」に、高い寄宿舎費を負担させて経済を活性化させないといけないほど、建設業、金融業の状況は大変なのだろうか?

「大学は建築費を出さずに寄宿舎を得て、建設会社は損をせず受益し、金融業界も損をせず利益を得れるわけだ。そして政府は経済指標上昇を狙う。ここにはどこにも学生はいなかった」(親切な未分譲 第三話から)

もちろん寄宿舎費が金融圏へ流れ出て行くあいだ、大学はただ手をつけずにいるわけではない。大学も建築費を出したり、民間業者に納付する賃貸料を「一部」負担する。建国大学のクールハウス寄宿舎の全体建築費の10分の1に至らない45億ウォンを建築費として負担し、延世大学SK国際学舎の場合は賃貸料のうち年間約5億ウォン程度を大学が負担する。問題は建築費の一部のみを支払う大学が寄宿舎の本当の「主人」であるということだ。



AさんはよくてBさんはダメなワケ

〜〜家を何部屋か所有しているAさんは商圏ビルの建物も一軒欲しい。しかし金は少しだけに抑えたい。不動産をよくしっているAさんは銀行から金を借りてきた。借りてきた金を建築会社にもって行き、商圏ビルを立ててくれと依頼した。建築会社はAさんの要求どおりに3階だてのビルを建ててあげた。1階には花屋とパン屋、2階には英語学院とクリーニング屋、3階にはピアノ教室と美容室が入店した。Aさんは毎月各店舗から家賃を受け取り、銀行から借りた金を返していく。数年がたち、借金をすべて返済したAさんは新しい建物の所有者となった。〜〜

大学の外の多くの建物は、Aさんが建物を得た形で立てられ、これは不動産持ちが財産を増やしていく代表的な方法だ。いずれにせよこのような方法がひろく使われていて、不法でなければなんでこれが問題になるのか問い返すかもしれない。しかし、同じ方法で病院を立てるとなれば問題になる。

〜〜Bさんは病院を運営している。新しい小児科病棟を建てたいBさんは金融業者を通して建物を立てることにした。金融業者から金を借りてきて、建築会社を通して病棟をたてた。Bさんは何年かかけて病院を運営しながら金を返した。もちろん借金返済にあてるために小児科病棟の病院費はほかの病院よりも高くするしかなかった〜〜

おなじ方法で病院をたてる場合、結果的に病院費があがる。Aさんがピアノ教室とクリーニング屋に要求した家賃を小児科病棟の患者に転嫁することになるからだ。しかし来院する人にとっては医療サービスが必要であるという点を考えるとき、病院費が高くなるということは不当だ。貧富に関係なく、だれでも健康である権利があり、だから韓国をはじめとする国家は医療保険制度を通して治療される権利を保障している。

病院と同様に、大学は教育機関として社会的な公共性と責任が与えられている。そのため、2005年以前には民間資本の学内流入を法的に禁止していたのだ。また法は大学が学生を通して利潤を得られないよう定めている。しかし大統領令を改定し、民間資本を誘致することによって、大学が教育すべき対象である学生から金を集めて不動産を呼びよせるわけだ。

法令が改正された当時、政府といくつかのメディアは資金が不足している大学でも建物を立てられるようになったと広報した。しかし実際には、梨花女子大学、延世大学高麗大学など、大学積立金順位が上位である大学も、われもといそいて民間資金寄宿舎を建てた。延世大学のSK国際学舎が完成した2010年、延世大学の累積建築積立金は2094億ウォンに達した。大学関係者は建築積立金が多額だったとしても、じっさいには各建物、目的ごとに資金が別々に積み立てられているため、予算を編成することは難しいと言いのがれた。しかし累積建築積立金は昨年度対比664億ウォンも増加したという点を考えれば、そうそう納得できる話ではない。

2010年、権ヨンジン国会議員が発表した資料によれば、同額の建築費で建てた建物だとしても、大学が事業費の30パーセントを最初から負担していれば、一学期あたりの寄宿舎費は約20万ウォン減少する。大学に対して積極的な寄宿舎予算拡充を要求しなけれはならないワケはここにある。



「寄宿舎費は第二の学費」

民間資本誘致によって立てられる場合、寄宿舎の質が上がるという主張もある。じっさいには多くの民間資本寄宿舎が各部屋にトイレとシャワーを備えていて、おおくは2人部屋と1人部屋でつくられているため、相対的に快適な施設だと自慢する。しかし西江大学の総学生会長である高ミヌさんは「学生たちが求めるのは高いホテル型の寄宿舎ではなく合理的な値段の寄宿舎」だと、民間資本寄宿舎が本来の寄宿舎の目的にあうのかと疑問をなげかけた。じっさいにあるアンケート調査によれば、通学が不可能な学生たちが住居地に選択するもっとも重要な条件は「家賃」だった。「住宅施設および設備」は3番目の要因に過ぎなかった。

親切な未分譲チームは「寄宿舎は高い金を出せる人のためにあるんじゃなくて、自炊部屋に住む金のない学生の教育権を保障するためにある」といい、必要な人に空間が行き渡っていないと指摘する。じっさいに多くの民間資本寄宿舎は需要が不足していて、空き部屋があったり、高級な施設を求める学生のための住居になってしまっている場合が多い。

家の需要はフレキシブルだ。専攻の教科書がどんなに高くても買わなくてはならないように、どれほど家賃が高くても寝る場所は必要なため、家賃が高くなったからといって、家を求める需要が減るわけではない。結局、寄宿舎費が高くても、学生は泣きながら寄宿舎費を出さなくてはならない。高ミヌさんは地方出身の学生に対して、家は絶対必要なもので、毎日のようにぶつかる問題であるため寄宿舎費は「第二の学費」だと強調した。

昨年11月発表された「延世大学大学発展案」によると新築される寄宿舎を民間資本誘致方式で進行するという。これと関連し、企画チームは、民間資本誘致方式は選択肢のひとつであって、国民住宅基金を使うなど、多様なやり方を考慮していると明らかにした。新しい寄宿舎が学生のための寄宿舎になるのか、「経済を活かす用」の寄宿舎になるのか、結末が気になるところである。

【日本語訳】平和が消えた、カンジョン村とテチュリ(大秋里)へゆく。


平和が消えた、カンジョン村とテチュリ(大秋里)へゆく。




テチュリ事態5年後




原文OHMYNEWS、2011年12月1日入力、写真がいくつかあります。
http://www.ohmynews.com/nws_web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001664133





米軍のためのRENT(貸し出し)、そのために追い出された人びと





2004年、米軍2歩兵師団と竜山米軍基地が韓国京畿道の平澤市テチュリ一帯に移転することが決定された。テチュリ住民は米軍基地移転に反対しデモをしたが、警察兵力1万6000名が動員された行政代執行によって住民は強制的に故郷から離れなければならなくなり、テチュリでは米軍基地移転のための工事がはじまった。



それから5年が過ぎた2011年11月23日、テチュリに訪れた。テチュリは工事がまさに進行中だった。フェンスに隠されて全景が見えたわけではないが、建物はまだ建っていなかった。地盤をかためる作業がまだ終わっていないためだ。工事現場では多くのダンプカーと掘削機が行き来していた。その周囲に勤労者たちが忙しそうに動いていた。



勤労者たちは村の周辺でもすぐ会うことができた。むしろ村の住民よりも工事の勤労者たちの数が多いように見えた。村の周囲には建てられてからあまり時間がたっていない新築のハイツがたくさん目に入った。一部のハイツでは「FOR RENT」という横断幕が張られていた。新築はいつの大部分はここに移転してくる米軍たちのための建物のようだ。テチュリを訪れる理由は、済州島カンジョン村のためだった。いまカンジョン村で再びテチュリのような事態が起こっている。テチュリはこれから解決するだろうかと気になった。






静かな村に聞こえてくる声





平和村テチュリと書かれた碑石と二体のチャンスン(魔除けの像)が村の入り口でわたしを歓迎してくれる。テチュリ大将軍、平和女将軍と書かれたチャンスンはテチュリの平和を願っている。美しく飾られた村は、異国的な雰囲気をかもしだしていた。わたしはこの村が政府の支援で作られたことを考えた。しかしこの村の住民の違うと言った。土地は国有地だったところを個人が買ったところで、家を建てた費用での政府補助は太陽光発電がすべてだと言った。土地保証金をもらって家を建て、土地を買った家もあるが、借金を負って建てた家も多いと言う。



土地公社によれば政府が土地保証金として支給したお金が坪あたり15万ウォン、坪あたり82645ウォン(2007年)の公示地価の180%だという。しかしパン・ヒョソクさんは「畑を売って15万ウォンってところがどこにある、見せてみろ」と政府の保証金が極めて少ないと言った。パンさんは農業をしていた土地3000坪と一軒の家を交換したことだと言った。ただ家の価格分の補償があるだけで生計に対する補償は全然なされていない。



テチュリ住民の現在の生計手段は公共勤労だ。移住民支援事業によって通過した条例案によれば2014年まで65−75歳である住民は公共勤労を通して所得を得ることができる。しかしそれ以降の対策は準備されていない状況だ。テチュリから車で5分ほど行けば、チュバル公団がある。村の住民はそこで仕事ができるように政府に支援してくれと願うが、工場はみな老人である彼らを受け入れてくれない。





賛成と反対に分けられた村






テチュリには162世帯がくらしていた。しかし現在テチュリ平和村に残っている世帯数はわずか44世帯だ。米軍基地に賛成した住民たちはほかの場所に移住し、最後まで反対した住民だけここに残った。住民によれば、いまも賛成した住民と知り合いであるふりさえもしないという。ひとつの村で数十年間いっしょに暮らしたかれらが米軍基地移転をお互いの間において、一瞬のうちに関係が遠くなったのだ。



賛成と反対が分かれてから起こった問題がもう一つある。テチュリ名義になていた村の共有財産の問題だ。平澤市によれば、村民会館の建物と土地など3億8000万ウォンがテチュリ名義になっているが、まだ引き取られていないという。平和村の住民はそれを自分たちのものだと主張し引き取ろうとしたが、ほかの場所に移住した住民たちが法的措置をとっておいたので引き取れない状態だという。村の財産は現在平澤市で管理しているが、10年の猶予期間が過ぎれば国庫に還収されるという。



現在のカンジョン村も住民が賛反にわかれて対立している。カンジョン村では親睦団体が200個ほどあったが、海軍基地の問題ですべてなくなったという。カンジョン村は第二のテチュリだ。政府は今回もテチュリのように強制執行を通して事態を解決しようとしている。



冬休みになればカンジョン村に行ってこないといけない。わたしの小さな力でカンジョン村を支え守らなければならない。わたしひとりでは守れないが、多くの人たちと力を合わせれば新しい結果をつくりだせるかもしれない。

韓米FTA国会批准の夜

11月22日、韓国国会でアメリカとのFTAの強行批准。野党が出席していない議会で、強行採決。野党はこれからの国会審議(予算含む)を全面拒否へ。


夕方、そのニュースを知らされる。


大学の図書館前、日が暮れてから、何人かの学生がトラメガでアピール。画用紙にマジックで書き付けたような即席プラカード。国会前で7時から行われるという集会への参加を呼びかけている。しかしあまりにも平穏な雰囲気。大学の一日が暮れていくというのみ。わたしもバスに乗っていたので、その学生たちと話すことはできず。目についたプラカードは、「21世紀の乙巳条約」というもの。乙巳条約とは、大日本帝国大韓帝国のあいだに交わされた1905年の「第二次日韓協約」を意味する。この「条約」によって、大韓帝国の主権は事実上奪われることになり、1910年の韓国併合へと至る。1905年の乙巳条約は、条約という対等さをふくむ言葉ではあるが、対等な関係で結ばれたとはとうていいえないものであった。


それがFTAの締結に重なって想起されているということだ。


わたしはネットに常時接続しているわけではないので集会の情報は、友人からの電話と、図書館前の学生が持っていたプラカードのみである。


さっそく国会前へ向かう。到着し集会へとむかう。しかし国会のすぐ前ではなく、地下鉄国会議事堂駅の、国会とは反対側の入り口付近で集会が開かれている。7時開始と案内された集会についたのは7時35分ごろ。しかし着くやいなや集会は解散する。解散させられるではなく、自主的に主催者が解散を宣言している。明洞へ移動するとのことだ。なぜ国会前で集会を維持しないのか、7時開始と知らされて遅れてくる人もいるだろうに、なぜ7時40分には撤収するのか、疑問が起こるばかり。だれも説明してくれない。もちろん誰も理由を知らないから説明できないのだが。わたしも「いまきたんだけど集会はどうなったの?」と聞いてくる人に対し、何も説明できない。ただ、「明洞に移動して集会をやるらしい」としか言えない。


明洞へ着いたのは9時半ごろ。すでにデモ隊にむけた放水が開始されていて、集会参加者の低い唸りは、200メートル300メートル遠くからも聞こえた。


デモの中へ。しかし10時前ごろだったが、すでに車道からデモ隊は退かされている状況。車道は警察に厳重に守られながら通勤バスが通り過ぎている。デモ隊は明洞の路地に閉じ込められてしまった。明洞聖堂北東の四つ角で、車道から退かされて明洞の路地にあつまるデモ隊。おそらく1000人から2000人ほど。太鼓やラッパもあるし、短いコールが繰り返される。


しかし誰も前に進もうとはしない。デモ隊は存在をアピールすることはしているのだが、他方で通行人や通勤客に迷惑をかけるほどの存在にはなっていない。だから警察もただデモ隊が車道に出ないように壁をつくるのみで、あまり大きな衝突はない。


11時ごろ、民主労総の街宣車のマイクで、活動家が話をしはじめる。話自体は現場で闘ってきた活動家の話で、とてもよい。しかし、これまでデモの至る場所で声が起こっていたのが、マイクに集中化されていく。みなマイクで喋る人に一律的な反応をみせていく。


問題は、マイクをもつ司会者が、明日明後日という日にちを語り始め、「今日はこれで引き揚げよう」という話をしはじめた点である。もちろん、平日だし仕事がある人も多いので、その意味はよくよくわかるが、それをマイクではなし、そのマイクを中心として認識したデモ隊たちによって、司会者のまとめの挨拶が、デモ隊のまとめになってしまったのだ。デモ隊はおとなしく、司会者がマイクを置くとともに、それぞれ、デモの解散を、自然に、本当に自然にしだした。不思議な光景である。けっして最初から民主労総に指導されたデモではない。有象無象、酔っ払いも含んだ、「なめるな!」という怒りをもったデモだったはずなのに、司会者の解散するという言葉に多くの人がしたがった。


明日もっと人を集めよう、明後日もっと人を集めよう、という言葉は正しい。しかしそこには「いま」という言葉と、「ここ」という場所を無視するための方便にもなる。


デモ隊のなかには、ツイッターやらフェイスブックやらを通して集まった人も多かったはずだ。ここでツイッターフェイスブックが重要だということを言いたいのではない。重要なのは、「いいね」ボタンなどではなく、自分の体を持ってきたデモ参加者たちだ。自分の体をもってきて、自分の時間を割いて、いわば怒りをもって自ら集まってきた人たちが、マイクをもった司会者の大きな声にいったいどうして同調できるというのか。これは疑問であるのだが、じじつそうなったのだ。


以下のふたつは、集会での伝聞情報である。
22日はデモで18人が連行されたという。
23日はトクスグン前で7時からFTA反対の集会が開かれるらしい。