韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

【日本語訳】平和が消えた、カンジョン村とテチュリ(大秋里)へゆく。


平和が消えた、カンジョン村とテチュリ(大秋里)へゆく。




テチュリ事態5年後




原文OHMYNEWS、2011年12月1日入力、写真がいくつかあります。
http://www.ohmynews.com/nws_web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001664133





米軍のためのRENT(貸し出し)、そのために追い出された人びと





2004年、米軍2歩兵師団と竜山米軍基地が韓国京畿道の平澤市テチュリ一帯に移転することが決定された。テチュリ住民は米軍基地移転に反対しデモをしたが、警察兵力1万6000名が動員された行政代執行によって住民は強制的に故郷から離れなければならなくなり、テチュリでは米軍基地移転のための工事がはじまった。



それから5年が過ぎた2011年11月23日、テチュリに訪れた。テチュリは工事がまさに進行中だった。フェンスに隠されて全景が見えたわけではないが、建物はまだ建っていなかった。地盤をかためる作業がまだ終わっていないためだ。工事現場では多くのダンプカーと掘削機が行き来していた。その周囲に勤労者たちが忙しそうに動いていた。



勤労者たちは村の周辺でもすぐ会うことができた。むしろ村の住民よりも工事の勤労者たちの数が多いように見えた。村の周囲には建てられてからあまり時間がたっていない新築のハイツがたくさん目に入った。一部のハイツでは「FOR RENT」という横断幕が張られていた。新築はいつの大部分はここに移転してくる米軍たちのための建物のようだ。テチュリを訪れる理由は、済州島カンジョン村のためだった。いまカンジョン村で再びテチュリのような事態が起こっている。テチュリはこれから解決するだろうかと気になった。






静かな村に聞こえてくる声





平和村テチュリと書かれた碑石と二体のチャンスン(魔除けの像)が村の入り口でわたしを歓迎してくれる。テチュリ大将軍、平和女将軍と書かれたチャンスンはテチュリの平和を願っている。美しく飾られた村は、異国的な雰囲気をかもしだしていた。わたしはこの村が政府の支援で作られたことを考えた。しかしこの村の住民の違うと言った。土地は国有地だったところを個人が買ったところで、家を建てた費用での政府補助は太陽光発電がすべてだと言った。土地保証金をもらって家を建て、土地を買った家もあるが、借金を負って建てた家も多いと言う。



土地公社によれば政府が土地保証金として支給したお金が坪あたり15万ウォン、坪あたり82645ウォン(2007年)の公示地価の180%だという。しかしパン・ヒョソクさんは「畑を売って15万ウォンってところがどこにある、見せてみろ」と政府の保証金が極めて少ないと言った。パンさんは農業をしていた土地3000坪と一軒の家を交換したことだと言った。ただ家の価格分の補償があるだけで生計に対する補償は全然なされていない。



テチュリ住民の現在の生計手段は公共勤労だ。移住民支援事業によって通過した条例案によれば2014年まで65−75歳である住民は公共勤労を通して所得を得ることができる。しかしそれ以降の対策は準備されていない状況だ。テチュリから車で5分ほど行けば、チュバル公団がある。村の住民はそこで仕事ができるように政府に支援してくれと願うが、工場はみな老人である彼らを受け入れてくれない。





賛成と反対に分けられた村






テチュリには162世帯がくらしていた。しかし現在テチュリ平和村に残っている世帯数はわずか44世帯だ。米軍基地に賛成した住民たちはほかの場所に移住し、最後まで反対した住民だけここに残った。住民によれば、いまも賛成した住民と知り合いであるふりさえもしないという。ひとつの村で数十年間いっしょに暮らしたかれらが米軍基地移転をお互いの間において、一瞬のうちに関係が遠くなったのだ。



賛成と反対が分かれてから起こった問題がもう一つある。テチュリ名義になていた村の共有財産の問題だ。平澤市によれば、村民会館の建物と土地など3億8000万ウォンがテチュリ名義になっているが、まだ引き取られていないという。平和村の住民はそれを自分たちのものだと主張し引き取ろうとしたが、ほかの場所に移住した住民たちが法的措置をとっておいたので引き取れない状態だという。村の財産は現在平澤市で管理しているが、10年の猶予期間が過ぎれば国庫に還収されるという。



現在のカンジョン村も住民が賛反にわかれて対立している。カンジョン村では親睦団体が200個ほどあったが、海軍基地の問題ですべてなくなったという。カンジョン村は第二のテチュリだ。政府は今回もテチュリのように強制執行を通して事態を解決しようとしている。



冬休みになればカンジョン村に行ってこないといけない。わたしの小さな力でカンジョン村を支え守らなければならない。わたしひとりでは守れないが、多くの人たちと力を合わせれば新しい結果をつくりだせるかもしれない。