韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

【記事前半部日本語訳】ルポ「3日カンジョン住民」が見た戦争と平和

・長い記事なので、とりあえず冒頭部分(全体の2割ほど)を訳出しています。
・今後、続きを訳す予定はありません。
済州島海軍基地建設に関する時事的なニュースについて他サイトでも日本語で読むことが可能ですが、このブログでは、ルポルタージュやインタビューなどを中心に紹介できればと思っています。







おじさん、なんで海軍といるんだ? うちらが月給あげてるのに


ルポ「3日カンジョン住民」が見た戦争と平和


オーマイニュース」11年9月2日13時43分最終アップデート
(原文:http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001620261&PAGE_CD=S0200




「海軍だ!」


カンジョン村の海岸にぬける入口のチュンドク三叉路に到着し、リュックをおろすやいなやある女性の叫び声が聞こえた。叫び声高く走っていく女性の後ろには、あちらこちらから出てきた数名の人がついて走っていく。追いかける女性がチュンドク海岸ちかくで、ふたりの男性を塞いた。村の動きを見に来た海軍だった。


「ここがどこだと思ってきたんや?」


「ここは国防部の所有なので来ることができます。」


「なにが国防部の所有だ。(すぐ横の地を指差しながら)すぐそこがわたしの土地だ。あんたらが強奪したんじゃないか」


「どうして強奪だなんてするんですか?」


「じゃあ正々堂々と持っていったとでも?わたしの土地をちゃんと順をふんで持っていったか?強制収用の順序を踏んだか?いったい順序を踏んだとでも!」


「しょちゅうここにきて刺激しないでください。」


「国防部の土地に海軍が来ることがなぜ刺激なのですか?」


「こんごからは住民の前で国防部の土地だって言わないでください。住民の同意なく持って行ったじゃないですか。住民はここに海軍がくることを容認できないってことを知らないんですか?なんでいつもこうやってやってきて人にしんどい思いをさせるんですか?」


数言やりとりをしていた海軍たちが海岸へ出て行くや、たちまちワゴン車が現れた。息をあらくした女性がワゴン車の中を見て言う。


「おじさん、なんで海軍といるんだ?警察がなんで海軍に仕えるんですか?海軍が月給をくれますか?うちらが月給をあげてるのに!」


ワゴン車の中に、海軍と警察が話もできないままさっさと入っていく。海軍基地建設問題で尖鋭に対立している済州島西帰浦市、手チョン洞のカンジョン村の日常だ。海軍基地建設に反対する住民たちの粘り強い闘いは、すでに4年が過ぎた。


騒ぎが終わるや、勢いよく叫んでいた女性が大粒の汗を流しながらへとへとになっていると、草の中へそのまま寝ころんだ。カンジョン村の住民である金某氏(38)だ。


「14年前に心臓移植手術をしたんですけど、こんなふうに一度ずつ怒鳴ると元気がなくなって疲れます。病院ではこんなことするなといわれているんですけど・・・。」


しかし安心できるわけがなかった。「海軍は、うちの村の住民全部を仲たがいさせる輩共だから、だた見るだけで怒りがわく。」


駆け足でついてきた人たちがミリャンさんを介抱する。その荒い息がおさまるのを静かに待ってあげる。愛情ぶかく見えるその姿は、むかしからのサムチョン(済州では男女区分なしに目上の人をサムチョンという)―ドンセン〔弟・妹〕関係のようだ。本当は、かれらは出会ってから数ヶ月しかたっていない。カンジョン村に力を送ろうと、みずから海をこえてやってきた「カンジョン新住民」たちだ。市民社会団体の会員もいるが、済州に旅行にきてチュンドク海岸に心を奪われ、ずっと留まっている人もいる。もちろんあら捜しがすきな人たちは彼らを「外部勢力」だと切り捨てる。しかし、ミリャン氏は、手をつないでくれた人たちではなくてむしろ住民を弾圧している海軍こそが「外部勢力」だと明確に区分した。


元気を取り戻したミリャン氏を起こしてあげた野花(ニックネーム)氏が横の木のくもの巣に引っかかったアゲハチョウを外してあげた。生命の苦痛をそのままやりすごせない彼らが守っているところ、済州カンジョン村だ。さる8月12日から3日間、カンジョン村に住み込んだ。


チュンドク海岸から約1.3キロ離れているチュンドク三叉路は、チュンドク海軍を守るための最前線だ。海軍はグロンビ岩があるチュンドク海岸をあいだにおきカンジョン川からカンジョン港までの約2キロにいたる海辺の一帯を海軍基地にする計画だ。


最前線である三叉路の最前線は、玄エジャ民主労働党済州道委員長だ。チェーンで全身をぎゅうぎゅうにしばっている。さる7月23日から大規模な警察兵力がカンジョン村に配置されてから25日たつが、公権力投入を全身で防ぐんだとみずからチェーンをまいて人間の盾になろうとした。地面にぽつんと敷物一枚しいて始まった野宿座り込みが、最近では分厚い発泡スチロールの床がある上に天幕も建てたので屋根もできた。玄院長は、「いまはホテル水準だ」と笑う。


彼女の末娘のヂャヨンは小学校5年生だ。座り込みに入る前、娘に対しこういったという。


「座り込みするという話はなにもせず「お母さんはカンジョン村に行ってくるけど、何日になるかわからない」といいましたよ」


娘は聞いた


「なんで?ぜったいお母さんがしなきゃいけないの?」


彼女は答えた。


「お母さんがいままでそこを守るためにどれだけがんばったかわからない。でも警察がきて無くしてしまうというから、お母さんが絶対しなきゃいけない。」


お母さんが座り込みに入ってから、ヂャヨンは数日ごとに家と座り込み場を行き来しながら生活している。横にいる姜コンジュ氏がヂャヨンの話を聞いてあげる。


「わたしたちが電話するときヂャヨンが最初にきくのが「おばさん、お母さん捕まった?」ですよ」


12歳の幼い少女はお母さんをずっと不安に思っている。

(記事本文は継続しています)