韓国書籍紹介など

読書ノートなど。翻訳もこつこつ出版していきたい。

【日本語訳】海を売る海女を許せません

原文:オーマイニュース、2011年8月11日掲載
http://www.ohmynews.com/nws_web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001609413



海を売る海女を許せません



政府の海軍基地建設推進によって痛んでいる済州島のカンジョン村。カンジョン村では海軍基地建設に反対する様々な人たちがともに猛暑を過ごしています。ある人はソウルから来て、ある人はフランスから来て、ある人は来た日からカンジョン村に住んでいます。「オーマイニュース」は平和を守るんだと自らカンジョン村にやってきた人たちを「自発的平和島流し者」と呼ぶことにしました。そしてカンジョン村に自発的平和島流しのためのやってきた人たちの話を読者のみなさんに伝えようとします。きょうはその9回目として、姜エシム:ポプファン村海女会長の話です。(編集者の言葉)




息が切れるまで我慢し、吐き出す息音、済州の海女たちはこれを「息の雨の音」と言う。海女たちが息を殺し、海の中へ入り、アワビや巻貝を取る時間は普通一分20秒。浅くもぐれば水深4メートル、潜りが得意な海女は水深15メートルまで軽々ともぐる。さらには水深18メートルまでもぐる海女もいる。


姜エシム・ポプファン村海女会長は海に入って28年になる。19歳のときに婚に行った、そこは評判のある金持ちの家だった。しかし婚家にきて10年たつや、婚家の勢いが衰えばじめた。島ということもあり、仕事場さえも充分ではない。都会なら建設現場で日用労働をしたり工場の雑用をする臨時職員になれるが、ここはそんな工場さえやってこない島。幼いときから海辺にいたから多少は泳げるという理由ひとつで、姑について行って海にもぐりはじめた。


「毎日見る海だから遊びにも行かないところでした。海を潜ったり作業する場所だとは考えすらせずに生きてきました。でもどうしようもなかったですよ。2人の子どもはそのとき小学5年と6年だったので、中学校に行かなくてはならないし、学費も稼がないといけないし、それに食べないといけないし。夫はそのとき稼げるからと日本に行ったからいませんでした。」


「姑は夫も日本に行ってしまったから嫁が逃げるものだと思って、毎朝わたしが出てくるまで待っていて海に連れて行きました。まっ黒に顔が日に焼けて、体もボロボロになるし、行くのもいやで・・・。だから子どもを考えながら海に潜っていましたよ。」



我慢していたつらさは、息の雨の音に混ぜて吐き出していた


済州の海の厳しい潮流が試練する生のように、彼女の体はゆさぶられた。海中の真ん中で、悲しさがこみ上げてたくさん泣いた。


「米を買うお金がなくて隣の家に行けば貸してやる金はないと言われ、親戚の家に行けば米がないと言われました。みんな大変なと時期だったから。「わたしの運命はなんでこうなの、親に恵まれていたら学校にも通えて勉強して楽に暮らしていただろうに・・・」悲しくて涙が出て、子どもたちを考えたら辛くて涙がでて・・・」


「コンディションがよくなくて、物件(アワビ、なまこ、巻貝などを指す言葉‐記者注)が全然視界にはいってこない日もあります。わたしの体と海の相性がよくない日です。そうしたら「絶対海女をしなきゃならないのだろうか、わたしはなんでこんなに暮らしがよくないの」というとても荒れた心になって本当にたくさん泣きました。」


そうやって毎日毎日悲しさに涙が溢れるときは、「ホオオウウ〜〜」と慟哭のような息の雨を張り上げて泣いた。息が切れるまで我慢した悲しさは、息の雨に混ぜて吐き出した。一人の母として、耐えなければならない時間を、息の雨を集めて、海より真っ青な済州の空に、撒き散らした。そうすれば、少し生きれるような気がした。そうすれば少し息ができるような気がした。


「本当に不思議なことは、海の中では悲しい涙だけが流れるんじゃなくて嬉しさの涙も出るんですよ。アワビにでもたくさん採れた日には「子どもらに食べさせる米を買うお金は稼いだな、子どもらの学費ができたな・・・」嬉しさがいっぱいになって涙が出ます。海を行き来して、珊瑚の隙間に大きなアワビでも発見したときには、「竜王様、ありがとうございます」と知らずのうちに感激して涙が出るんです。」



補償金を受け取って海軍基地建設に賛成したカンジョン村の海女会


悲しい涙を全部吸った海にはうんざりしていないか。大きなものをくれることも無いのに、同情するふりをする海が恨めしくならないか。


「女が嫁に来てしまえば、実家の母に対してお金を少しくれと言うこともできないです、恥ずかしくて。どんなに辛くてもいえません。実家の母に対しては。でも海は、困難なときにわたしたちを生かしてくれます。どこか遠くにいって一銭さえも借りるあてのない人も、何もなく一人で暮らしている人も、海はみんなを生かしてくれる。」


「誰でも海に入れば、自分の分は稼がせてくれますよ。困難な人たちがさらに困難に直面したとき、実家のお母さんの腕の中のおうに、実家のような穏やかさをくれる所が海です。ある時は恨めしくもありますが、怖くはないですよ。毎日見てもいいし、毎日入ってもいいし。」


だから彼女はカンジョン村の海女会が海軍基地に賛成したという消息が伝わったとき、信じなかったという。海女にとって海は実家の母のようなものなのに、その海を捨てるということはありえないからだ。根も葉もない噂であることを願った。しかし噂ではなかった。カンジョン村の海女会が少しの補償金を受け取り、海軍基地建設に賛成したのだ。


彼女は143名のポプファン村の海女たちを集め、カンジョン村の海女の分まで闘った。済州道知事に抗議するために道庁に行って戦い、腕組みをして見物をしている国会議員たちを一喝するためにソウルの国会議員会館まで行った。カンジョン村の海がポプファン村の海であり、ポプファン村の海はカンジョン村の海だからだ。ふたつの村は、ボム島を間におき、済州の海でともに暮らす隣人だった。だから「我々の海、お前らの海」と言うことはなかった。海に線がああるのか?垣根があるのか!


親しく話をしていた間柄が、今では敵を見るようだ。


「一番惜しかったことが、カンジョン村のある海女が「わたしの海をわたしが売った、お前たちには関係ない」と問いただしたことでしたよ。この海がどうしてわたしの海で誰かの海ですか。力のない人もともに稼ぎ、生きている間はちゃんと守って、子孫たちに渡してあげないといけないのが海ですよ。」


「世のいかなる海女が、この海を前にして売り渡すというのですか。海を放棄するということは海女自体を放棄することですよ。海女の海に対する愛着はすごく深いものなのに・・・海女が海を捨てるということは、自分の息を捨てることと同じですよ。海を売った海女は海女の資格がないですよ。どれだけお金が大事だといっても永遠に海を捨てるということが許せません。普通に潜る人も1,2年すれば、政府がくれる補償金程度は稼げるのに、なぜ強いて海を売るまでするのか、全く理解できませんよ。」


済州の海女たちがそうであるが、カンジョン村の海女たちとポプファン村の海女たちは「ひとつの海に生きている」という心の紐帯が並はずれてて強かった。帰り道でご飯も買い、彼女が表現したように「隣村の姉妹のようにほんとうに楽しくやってきた」という。


しかし海軍基地問題に火がついた後、ふたつの村の海女たちが道で会っても、バスで会っても、お互いに先に言葉をかける人はいない。「姉妹が会うように嬉しくてどうすることもできなくて、手をとりあって、親しく話をしていた間が、いまでは敵を見るようにすれ違う」のだ。


海は分け隔てしないのに、海に住む人たちは分けられた。海に生きるスズメダイシラウオ、アワビ、巻貝は、壁をつくらず今でもカンジョン村の海、ポプファン村の海を行き来しているのに、人たちだけは壁をつくり、他人同士になった。


7大景観に挑戦するといって海軍基地建設?


海女たちは水深10メートルを超える海で、ほかの海女たちと百メートル以上離れて潜っていても一人だとは考えない。見えないし、触れられないが、深い海のどこかに、ともに潜りにきた海女が必ずいるという信があるからだ。見えなくても、触れられなくても、見えるのだ。海女とはもともとお互いにとってそういう存在だった。


潜りがどれだけ疲れたといって「棺おけを背にかついで、位牌の箱を頭に乗せて潜る」と言っていたのか。死よりひどい生の苦痛を「テワク(海女たちが浮力を利用し胸に抱いて泳ぐ道具)」の底を削り、ごちゃごちゃに絡まった網(海女たちが採った海産物を入れるザル)には巻貝を入れるように、一筋の生の希望を包むように抱いて生きてきた海女たちだ。


彼女らはまた陰暦の2月になれば、ウェヌンベギ島から来たという意地悪な「ヨンドゥン婆さん」を慰めるヨンドゥンクッをともに納めていた。そのクッは暮らさせてくださいという意味で行った。海で、実家の母の広いチマ〔スカート〕のような海で多数の声明とともに暮らさせてくださいとお願いし、わたしたちの潜りで家族と村がともに暮らさせてくださいという内容だ。そのようにして海の信仰をともにし、海の儀礼をともにやってきた海女たちが他人になった。


「カンジョン村の海女たちに会う前に、海軍の宋大領という人がわたしたちのポプファン村の海女たちの元にたずねてきました。補償金をたくさんあげるから海軍基地に賛成してくれと言うんですよ。そして海軍が村に入ってきたら学校も建ててあげるし、人口も増えて暮らしがよくなると甘い話をするんですよ。ただちに追い出したんですがね。」


「いや、今でもソウルにある中学校・高校・大学にいけないから全国的に大騒ぎだし、いい教育課程は全部ソウルにあるからと全国の知識ある人たちは全部子どもをソウルに送っているのに、どこの変わり者がこの島の村っぱしに子どもをつれてきて教育させますか?子どもを海軍にさせようとここで教育させるというなら、なんというか・・・」


「世界7大景観に挑戦するといいながら済州島で一番美しい場所に海軍基地をつくるっていうことが矛盾じゃないってことですか?どれだけ目を伏せてみても冗談にもほどがあるし、できもしないことをやたらに言っているのか分かりませんよ。」



80まで生きても、90まで生きても、健康さえ許せばずっと潜っていたい


彼女は、ウ・グンミン済州島知事と済州地域の3人の国会議員をまったく信じていないと言った。ウ知事には怒りしかないと言った。「道知事になる前には(海軍基地建設予定が含まれた)済州島独特の道の7コースを歩き、住民たちに対し、海軍基地を受け入れないかのように言っていたが同知事になるやいなや立場を真逆に変えた」からだ。


国会議員たちは「済州島に来たら海軍基地に反対すると言い、国会に行けば賛成するかのように行動する」からだ。彼女は「国会議員の3人が心を決めれば海軍基地は絶対済州島にくることはできないのに、いまの状態になっている」と惜しむ。


海女たちは潜れる水準によって上・中・下に分かれる。ある特別な基準があるわけではなく、海女たち自らが評価し決定する。それほど海女たちは自ら厳格なものさしと規律を持っている。潜りはじめて28年であるが、彼女はまだ中だ。


「とくべつ上になりたい気持ちはないけど80になっても90になっても健康さえ許せば潜り続けたいのが願いですよ。わたしの体が許す限り、海は絶対にやめませんよ。大きいほうの子どもは、いまはやめましたが市庁の公務員でしたよ。自分が公務員なのに母が海女を集めて先頭にたってデモして、道庁でデモしたりするから、上司の視線くらいはこないわけはないでしょう?」


「だけども、「母さん、デモはもうやめてよ」とは一言も言わないですよ。子どももちゃんと知っているのでしょう。母が海で潜っていたから自分をソウルの学校にやってくれたし、暮らせてきたということですよ。母が海で、海が母なのに、デモをするななんて言えないでしょう。」


海の娘として生まれた彼女は、今では海の母になり、あるいはほかの海の娘を待っているところだ。歳月がずいぶん流れ、あるいい季節、ボム島の前で跳ね遊ぶイルカの背で思い切り笑っている彼女を、わたしたちは海だと呼ぶし、母だと呼ぶだろう。


「わたしの名前は、呼ぶにはちょっと変かもしれないけど、意味を知ればとてもいい名前ですよ。安らかな姜、愛するの愛、こころの心・・・、穏やかに愛していい心を持ち生きるという意味ですけど、世の暮らしがみんなそうなればいいですよね。それが平和ということじゃないですか?」